※少し前の話ですが、Ironman Malaysiaのレースレポートです。レース直後にメモしたものです。
3回目のアイアンマンレース。
2017年9月末から10月上旬は、バイク練習中の落車や風邪で一時的にパフォーマンスを落としたものの、マレーシアの3週間前に予定されていた伊是名のレースが台風でキャンセルとなり、十分体力を回復した状態でレースに望むことができた。「練習しすぎより回復しすぎる方が良い」と言うトライアスリート・トレーニングバイブルの記述通り、3週前は80%、2週前は50%に練習量を落とし、加えて2週間の耐暑訓練を加えてレースに臨んだ。
また、バイクの最終メンテナンスの時に店長から「バイクでは最大心拍の75%以内を目安に走ること」と「ナトリウム補給は塩熱サプリが良いこと」をアドバイスいただいた(後にこれが重要なアドバイスになる)。
マレーシア入りした後の最終準備では、いつも通り、アルファ米中心の食事をして、チェックインやバイク預託などでは極力早め行動をして、残った時間はベッドで休憩した。休憩中はレースシミュレーションに時間を割き、特に、昨年のバイクコースのGPS結果を何度も見返し、重要な箇所やポイントとなるカーブの距離を書き出して暗記した。
レース前日は17時に夕食、20時前に就寝。当日は2時30分に起床。1000kcal程度の食事をして4時30分に出発。5時30分には会場について6時15分にバイク準備も完了。念のためトイレも済ませて、7時20分の試泳開始まで座ってレースシミュレーションを繰り返した。これで何かトラブルが起きてもすぐに対処方法を思い出せる状態にした。
プロのスタートを見届けてから、いよいよスイムスタート。ローリングスタートの100人目くらいで泳ぎ始める。スイムはとにかく飛ばさないことを意識し続けた。事前の練習ではケアンズ前のパフォーマンスを上回ることができなかったので、レース1ヶ月半ほど前からは目標を3.8kmを楽に泳ぐことに切り替えて6つの注意点を書き出した。それをマントラのように順番に唱えながら泳いだ。
他選手との身体の接触もほとんどなく、順調に進む。コースは1.9kmを2周回。1周目は最後の800mでやや蛇行したが合計32分台。ほぼ目標通り。去年は2周目で大きく落ち込んだのでそうならないように、再度マントラを唱えながら泳ぐ。1周目は他の選手につくことで楽しようとしたが、2週目は周囲に選手が見当たらず、ほとんど単独泳。結果的には、その方が周囲に気を取られて普段と違う泳ぎをすることがないのでよかった。周囲に他の選手がいるとついて行ったほうが楽かなとか色々考えてしまって結局無駄な力を使ったり間違ったフォームになる。
そんなことを考えながら、昨年よりはかなり体力の余裕を持ってスイム終了。タイムは1時間7分ちょっとで目標より1分遅く、昨年比で1分半ほど早まった。スイムの年代別カテゴリー順位は昨年の33位から26位にアップ。ただし練習に時間かけた割に遅いというのが率直な感想。今後はあまりスイムの改善にこだわりすぎず、他を伸ばしたほうが良いかもとも思う。というのも、同年代の自分より上位の選手の結果を見ると、自分よりスイムが遅い人が3人もいたから。スイムが遅くてもその他が圧倒的に強く、それを武器に上位を獲得している。ただし、これはマレーシア大会のレベルの話で、よりレベルの高いケアンズや欧州・北米ではスイムの差が致命的な差になる気もする。悩ましい。オフシーズンにじっくり考えよう。
昨年の課題の一つだったT1は、着替え時間の短縮のためにカーフタイツと日焼け防止スリーブをなくし、代わり日焼け止めを再度塗る方式に変えたが、結局塗る作業と濡れたウェアの上半身を着る作業に手間取り昨年比30秒短縮にとどまる。上位選手は自分より90秒くらい早い。日焼け止めはスイム前にしっかり塗っていたのでなくても良かった。あと、事前に濡れたウェアを素早く着る練習をしておけば良かった。
事前の目標より1分ビハインドでバイク開始。昨年の反省を生かし30kmまではスピードを抑えることを意識して最初の登り区間に入る。すると時計の調子が悪いようで心拍数が90前後。登りにしては値が低すぎる。心拍数を見れないとなるとパワーメーターつけていないので出力コントロールする方法がない。マズイなと思っていると、今度は下りにも関わらずスピードが時速2km。マジすか?この最重要レースの序盤で完全に羅針盤を失うのか。。。コース上には15km毎に表示があるが、暗算で目標スピードとの差を出すのは無理。。。そこで覚えていたコース上の重要なポイントの中から、目標ペースに対して1時間、1.5時間などキリの良いタイミングと重なるわずかな地点を探し出し、マイルストーンにした。これでもスピードを測る方法が何も無いよりかは遥かにマシだった。今後も事前のコース暗記は必須だ。
最初のアップダウンが終わった22km過ぎくらいからは心拍数が正しそうな値を示し出したので、店長に教えてもらった最大心拍75%ルールで出力をコントロールした。
ケアンズと違いバイクのレベルが拮抗する集団もなくほぼ単独走。バイクで感じた課題は登りのシッティングでのペダリング。登りでは筋肉の負荷分散も兼ねてダンシングで登ったが、それでは遅いようでほぼ毎回後続選手に抜かれた。かと言ってあの斜面(斜度6%前後)をシッティングで行くと平地で使う筋肉が疲労しすぎると思われるし、ダンシングでさらにスピードを上げるとランにマイナス影響出ると思われる。シッティングでも疲れない登り方が次の習得目標だ。
150km過ぎからはスコールが断続的に発生した。155km過ぎの1番斜度がキツい下りでは、晴れていれば時速70km超まで出すが、命の危険を感じたので減速しながら下る。と、その時、前輪ブレーキを強めた途端、ハンドルが左右にぶれて制御不能になるシミー現象が発生。時速40kmは超えていたはずで、間違いなく落車!、レース終了!、という恐怖と絶望で全身鳥肌が立つ。が、奇跡的に制御不能のまま下り切ることが出来た。私の後ろにいたフィリピンのフィリップ選手(同じカテゴリーのコナ常連選手)が怖かっただろうと心配して声をかけてきた。笑顔で答えたが、トライアスロンで命や健康を犠牲にすべきでは無いという当たり前の事をレース中に再認識した。すると170km手前では今度は痛いくらいの豪雨が発生。ちょうどその時、遠くに捉えた同年代カテゴリー選手が左折時に転倒、落車した。もはやサバイバルレース。そこからはとにかく慎重にゴールを目指した。
バイクは5時間16分で目標から2分ビハインド。これで合計で3分ビハインド。GPSが使えない状態では良くやったと思う。バイクの年代別順位も昨年の21位から11位にアップ。練習の成果は確実に出ている。ただ、ダンシングを多用した足の疲れが気になりつつランへ。(羊羹とジェルの補給タイミングを20分に一本の予定が途中まで30分に一本と勘違いしていた点は今後修正が必要)
T2はほぼ予定通り2分30秒程度で終えランスタート。ランでもGPSが頼りにならないので心拍数と2km毎の距離表示でペース配分する。コースは2.5周回。毎回反省する事であり、今回も結果的には同じ轍を踏むことになったが、25kmまで飛ばしすぎた。これは、一人でも抜いて上位に入りたいという焦りと、早くこの苦しみから逃れたいという気持ちが根底にあって、その結果、「今日は身体が軽い」「このペースでもまだ持つ」と間違った解釈をしていると思われる。
16kmくらいからは(後で気づいた事だが)周回遅れで先行されていた1位のプロ選手に周回遅れながら追いつき、そのまま彼をリードする形で10キロほど並走した。彼もランの後半相当苦しかったようで、私をペースメーカーにしてついてきた。彼は38km過ぎ(私は25キロ過ぎ)で優勝を確信したらしく、後ろから「サポートありがとう!」「ビールおごるよ!」とか楽しそうに話しかけてくる。私と並走するくらいなので相当後半のランで体調が悪かったはずだが、彼の何が凄いかって、その後私を抜いていくときに吐きながら走ってたこと。止まって吐くのではなく、走りながら。トッププロはそこまで追い込むのかと思いながら見送った。
一方、私の方はその直後から失速し始め、それと同時に猛烈な便意を感じる。前日、当日朝とトイレコントロールを確実に出来たが、それを上回って食べ過ぎていたようだ。30分近くゴールまで我慢するか迷った挙句、社会人としてお漏らしや野糞はNGと言う当たり前すぎる結論にたどり着き、トイレへ。スッキリして今度は飛ばし過ぎたのが影響したのか、30km手前で低ナトリウム血症の影響か、右肋骨あたりが痙攣。もはや歩くのも難しい。今年のコナで歩き始めたフロデノもこんな気持ちだったのかなとか思いながらストレッチ。それでも解決しなかったので、念のため持っていた塩熱タブレットを4錠口に入れなんとか復活した。もしこれを持ってなかったらここでレースが終わっていた。
攻める気持ちを奮い立たせてももはや足が動かず、なんとか手を振って無理やり体を動かす状態。バイクで声をかけてくれたフィリップ選手に抜かれる(最終的に彼はカテゴリー2位まで上がった)。「1秒差でコナに行けるかも」「あと一人でいいから最後に抜け」と呪文を唱えながら、ただひたすら集中力を切らさないように走る。36km過ぎでDemianと背中にプリントされた選手を抜く。そういえばレース前にスタートリストでチェックしていた自分より実力ある人の一人じゃなかったか?(それは正しく彼は私の次の順位でゴールしコナ出場権を逃した)
もう、思考力もだいぶ落ちてきたようで、38km地点を36kmと勘違いしていて、逆に嬉しくて力が出る。あと4km。
痙攣だけが起きないように祈りながら、補給でコーラとスポーツドリンク飲む。残り2kmでイカつい丸刈りの選手に抜かれる(こちらは同じカテゴリーで5位に入ったロシア選手。ランが驚異の3時間7分)。
あと800mの看板が見えて、この苦しみから解放される安堵に包まれる。ケアンズのようにジャンプしてゴールする余裕はないが、ガッツポーズでゴール。
ランを振り返ると、まずはバイクの登りのダンシングで思ったよりも脚を使っていたと思われる。また25kmまでのペース抑制ができなかった。さらに補給では定期的なミネラル補給をすべきだった。エネルギー補給は5km毎にマグオンとトップスピード交互摂取すれば十分。ランの力というよりもレース展開の仕方に改善余地ありだ。
ゴール後は特に余韻に浸る事なく、サッとマッサージを受けて、着替えて明るいうちに宿へ。急激にお腹空いたところで、お気に入りの中華料理レストランのOrkid Ria seafood restaurantで食事。ここでもビールを飲まないのが当日夜と翌日の疲労回復に効果的なので我慢。
翌朝の世界選手権ロールダウンセレモニーでは、自分の年代のスロット数が最後まで分からずドキドキ状態。MCがM35-39カテゴリーのスロット数を6と発表した瞬間、この1年半の努力が全て報われた。来年のコナは40周年記念大会とのこと。世界のトップレベルのプロ、アマ選手と戦えることが、本当に楽しみだ。しっかり休んでから、また次のレベルに向けて練習しよう。