IRONMAN Cairns 2019 エイジ5位 9時間39分

アイアンマン・ケアンズのレースレポートです。2年ぶりの出場となったレースは、波、風ともに強く難しいコンディションでしたが、前回よりも記録、順位ともに上げる事ができました。それでは、いつも通りかなり長いレポートです。

午前2時10分

2時15分のアラームが鳴る直前に目が冷めた。昨晩は19時過ぎにベッドに入ったので、睡眠時間は約7時間。2日連続で7時間の睡眠を確保できたので、3日前の夜便での移動の疲れも取れたはず。レースに向けた最初のハードルである睡眠時間の確保をクリア出来た。隣のベッドで寝ているHさんを起こさないように気をつけながら部屋を出ると、隣の部屋からMさんも起きてきた。笑顔で挨拶してから、キッチンでアルファ米に注ぐお湯の準備を始める。朝食はアルファ米二袋に、鯖の缶詰と鮭の缶詰、しじみ汁、それにヨーグルト。合計1000Kcalほどの食事を摂りながら、Windy(天気アプリ)でレース会場の風と波の様子を確認する。波のうねり1.1m、南の風6m/s。前日の予報とほとんど変わらない。厳しいレース展開になりそうだ。

この波のうねりと強風に悩まされる事に

同じコンドミニアムに宿泊している4人が食事している間に、一足先に食事を終えてトイレタイムへ。昨年のコナと一昨年のマレーシアでは、2大会連続でランの最中にトイレ休憩し大幅に時間をロスしてしまったので、今回はなんとしても避けたい。トイレに入って、日本から持参したイチジク浣腸ロングタイプを一気に注入する。5分待ち、更に念を入れてもう1分我慢。詳細な記載は割愛するが、完璧と思われる準備が整った。いよいよレース会場に向けて出発だ。UBERで手配したタクシーに乗り込み、シャトルバスが待機する場所へ向かう。

真っ暗闇の中を出発

午前4時40分

シャトルバスに乗り込み、ケアンズから北へ30キロほどにあるパームコーブへ移動。横に座っていた年配の男性と少し会話する。アメリカから来た彼は今回が初めてのアイアンマン。日本でも10年以上生活したことがあるそうで、今年5月の10連休は四国でロングライドをしたそうだ。経営する英会話学校の仕事の合間を縫って、今回は子供二人を伴って参加。仕事と家族、トレーニングのバランスの難しさなどについて話が弾む。少し緊張しているように見える彼を見て、落ち着いている自分に少し安心した。今回の目標は、世界選手権の出場権獲得でも順位でもなく、単純に自分の最高のパフォーマンスを発揮すること。気が楽だ。ちなみに、自分よりずいぶん年配だと思いこんでいた彼は、私と同じ年代カテゴリーで、1歳年上の40歳だった。

午前5時20分

スイム会場の横でゆっくりバイクの準備をする。少し休憩してから、午前7時前にウェットスーツに着替える。風は強いものの、波のうねりは前日の試泳の時よりかなり収まっている。頭上には青空が広がり快晴。ミラーレンズのゴーグルを装着して、砂浜から50メートルほど泳ぐ。海に入ると、やはり波とうねりは高く200メートルほど先のブイが見えないときがある。でも、これくらいならなんとかなりそうだ。ダッシュを2本行い、心拍数を上げてから砂浜に戻る。

レース当日のパームコーブは快晴
前日の荒れた海の様子

午前7時35分

いよいよ男子プロ選手がスタート。砂浜のスタートラインで号砲を待つ選手達を、波打ち際から眺める。選手は15名ほど。いつでもスタートダッシュができるように中腰になり、遠くの第一ブイに集中している選手たち。号砲と同時に、全員一斉に走り出し、水しぶきを上げながら、波に向かって頭から突っ込んていった。そして、浮かび上がった瞬間に、腕を高回転させ、高い波の中を沖に向かって突き進む。本当に3.8kmを耐えられるのかと心配になるスピードだ。

午前7時45分 スイム

プロ選手のスタートを見届けたら、いよいよエイジグループのスタート。予想タイム1時間未満の列に並ぶ。前の方ではローリングスタートした選手が3、4人ずつ次々に海に飛び込んでいく。今回一緒に参加しているNさんと握手をしてから、私が先にスタート。海に入って最初の15メートルだけ、先程のプロを真似して腕を高回転させて突き進む。もちろん、こんなことをしていたら3.8km持たないので、すぐに自分のペースに戻して第一ブイを目指す。最近1ヶ月のプール練習で得た気づきと、前日の試泳結果を元にまとめた「泳ぎの注意点」を頭の中でマントラのように繰り返しながら、3回から5回に1回のペースでヘッドアップをして進む。

第一ブイを右に曲がると、今度はビーチと平行に泳いで約1.8km先の折り返しブイを目指す。身体の左側から来るうねりにバランスを崩されそうになるが、ここでもひたすら基本のマントラを繰り返し、自分の泳ぎに集中。一昨日のレース説明会では、約200メートル間隔で設置されているブイの内側・外側のどちらを通っても良く、先に進むほど沖の方へコースが曲がっているとのことだった。そのため、ブイが近づくとさらにその奥のブイを確認し最短距離を泳ぎ続けた。おそらく2年前の大会も同じようなコンディションだったはず。そのときに比べると気持ちに余裕がある。この半年の練習の成果だ。このまま行けば、2年前の記録(1時間10分)を下回ることはなさそうだ。そう思いながら折返しへ。

折り返した後は追い潮になるので、泳ぎやすいかと思いきや、今度は右側から来るうねりと波で、右呼吸のときに海水を飲みそうになる。加えて、2km以上泳ぎ続けているので、疲れというか泳ぐこと自体に飽き始める。いつまでこんな事をしてるんだろう。ネガティブな思考と同時に悪い癖が出始める。リカバリーの手が戻る前に反対の手のプルをはじめたり、右手の入水のときに頭を一緒に下げて無駄な上下動を生んだりと、効率が下がる。そういう悪い兆候を感じたらすぐに、基本のマントラを唱えて立て直すが、いつのまにかまた悪い癖が出て、またマントラ。それを何度か繰り返していると、スイムフィニッシュ地点近くの桟橋が見えてきた。もうすぐ、最も苦手なスイムも終わり。こういう時こそ最後まで集中だと言い聞かせながらスイム終了。

得意のトランジションで時間短縮すべくダッシュ

すぐに手元の時計を見ると1時間6分。事前に想定していた目標タイムと同じで、ホット一息。スイムが苦手な自分には、他の選手を利用してドラフティングで効率よく泳ぐことは難しく、少ないヘッドアップ回数で最短コースを通ることが最優先事項と考えていた。その結果、このコンディションで事前の目標通りなら十分許容範囲だ。風が強いのでバイクは目標どおりには行かず、最終的には9時間25分の目標は達成できそうにないが、それよりも自分の最高のパフォーマンスを発揮することに集中しよう。そう心の中で確認しながらバイクギアバッグをとって、トランジションテントへ。

トランジション1

テントに入ると、すぐにウェットスーツを脱いで、バッグから荷物を取り出す。今回は、ヘルメット、シューズともにバイクに設置しているので、身に付けるのはバイクグローブと補給食が入ったウェストポーチだけだ。しかし、濡れた手がグローブになかなか入らない。2月のハワイ島旅行でマジックテープがないタイプのグローブを見つけて、トランジションに最適だと思って購入したが、濡れた状態での装着までは確認していなかった。完全に準備不足。テープで締め付けない分、手にピッタリフィットする大きさなので、全然入らない。こんなところで冷静さを失っては行けないと思い直し、なんとか片方だけ着け、もう片方のグローブとウェストポーチを持ってダッシュでテントを出る。走りながらポーチを着けて、バイクの前でもう片方のグローブを苦労しながら装着。今から思うとグローブなど着けなければよかったが、やはり冷静さを失っていたのだろう。片手で10秒、合計で20秒近くロスしてしまった。遅れを取り戻すべく、バイクスタートまで裸足でダッシュし、5,6人を抜き去ってからバイクスタート。

バイク

バイクコースは、パームコーブの北、約40km地点のポートダグラスで折り返し(追い風)、一度パームコーブに戻り(向かい風)、再度、ポートダグラスまで行って(追い風)、最後はケアンズまで戻る(向かい風)というコース。最後にポートダグラスを折り返すのが約115km地点なので、そこまでを前半と考え、パワーをFTP比71%-75%(205w-215w程度)に抑える。折返し後は、向かい風の状態と体調を見て、ペースを決めることにした。

しかし、走り始めてわずか20kmほど進む間に、左の臀筋と腰の辺りに強い疲労を感じ始めた。小刻みなアップダウンと、前の選手との間隔を調整するためのスピードの上げ下げが影響したのか。腰の痛みについては、5月にサドルポジションを変更し、ロングライドで問題ないことを3回も確認したはず。これだけ早いタイミングで疲労を感じるとは思わかなったので、どこに問題があるのか分からず不安になる。

カメラを意識して笑顔になる余裕があった頃

その中でもやれることは確実にやろうと考え、20分毎に補給食を摂取し続けた。また、日差しが出てきて急に体感温度が上がったので、トップスピードタブレットを溶かした水をコンスタントに摂る。

40Km地点のポートダグラスを折り返すと、今度は向かい風。予報の風速6mの通り、かなり風が強くスピードを出せない。強い風、小刻みなアップダウン、そして前の選手との間隔調整でパワーを安定させることが難しく、50km手前では、前半115kmを平均210w維持するのが難しいかも、と思い始める。

そんなことを考えながら登りで下を向いて進んでいると、いつの間にかコース右側に寄っていたようで、後ろから追い抜く選手に「Hey!!」と注意されてしまった。よく見ると竹谷選手。新しいs-works shiv discに乗って一気に抜いて行く。昨年のコナでは55Km付近で抜かされたので、今回の自分のパフォーマンスはコナより悪いのかな、とか無駄な事を考えてしまう。

前半のうちに早々と作戦変更

このままレース前の目標パワーにこだわると、バイク後半で大きく落ち込むと考え作戦を変更。ドラフティング禁止ゾーンの12メートルを守りながら他の選手と先頭交代して115kmの前半終了までパワーを抑えることにした。「バイクは他の選出の力を借りずに自分の力だけで突き進むのみ」という潔い考えも好きだが、レース展開における柔軟さを大事にしたというか、単に向かい風にヒヨったというか、兎に角、何回か前後が入れ替わってバイクのレベルが同程度と思われる選手数名をマーク。途中、5,6人の長い列が出来て、マークした選手と他の選手の間で中切れが起きそうなら一気に抜いたり、逆に自分が先頭に出て「僕も頑張ってますよ」感を、実際は誰も気にしてないとは思うが、一応醸し出したりと、そんなことをチマチマ繰り返した。

70km過ぎから、ブルーのWYN republicのウェアを着た選手とペースが合うようになり、彼と二人で進むことに。二人で先頭交代を繰り返しながら、他の選手を抜いていく。90Km過ぎで、女子の元プロカテゴリー選手だった西内選手をパス。順調に進み、ポートダグラスの折り返しを回って、いよいよバイク後半戦へ。

さあここからが勝負!と思ったら、強烈な向かい風。正直に申し上げると、この辺りからWYN republicの彼とは先頭を引く割合が7:3くらい(いや、8:2くらいかも。。。)になる。加えて、下りの技術に差があるようで、下りの度に50mから100m近くの差を付けられ、再び追いかけるのにパワーを使ってと、かなり効率の悪い走りになる。それでも強い向かい風の中を単独で進み続けるのは、体力よりも心が折れる可能性高いと考え、なんとか食らいつく。

そして135km過ぎのRex lookoutの登りを通過。もうこれ以上急な上りはないと安心したのは良いが、この辺りから20分に一回の補給食が面倒になり、30分に1回、40分に1回とずれていく。

さらに粘って160kmを通過。ここからは小刻みなアップダウンも無く、緩やかな下り基調の直線。しかし、引き続き向かい風が強く、パワーは190w、スピードは30km/hを維持するのが精一杯。パワーもスピードも落とし過ぎかもという不安と、今更頑張って1分2分短縮してもランのパフォーマンスを下げては意味がないという気持ちの間で揺れる。その間にWYN republicの彼と私の間に入った選手が中切れを起こし、一気に差が開く。もはや集中力を欠いた自分に追いかける力はなく、間に入った選手の後ろについてバイクフィニッシュ。

パワー(ピンク)、心拍数(赤)、ケイデンス(黄)、最高時速73km/hは冷静に振り返ると恐ろしいスピード

トランジション2

バイクをキャッチャーに預け、裸足でトランジション2のテントに向かう。地面が濡れていて足が泥だらけになってしまった。椅子に座り、バイクグローブで足の裏を拭いてから、ソックスとシューズを履く。ボランティアのおじさんが手伝ってくれるが、ゼッケンベルトの留め具を着けて輪っか状態にして私の頭の上から通そうとするので少し手間取る。「ちゃうねん、その留め具は腰に巻いてからつけるねん」と心の中で一瞬イラッとしながら、自分の器の小ささを反省しつつ、トップスピードを一本飲んでランスタートへ。

ラン

走り始めはバイク終盤の疲れが続いた感じであまり体調が優れない。でも、脚が重すぎて走れない程ではない。目標ペースは4:37/kmだが、前半は気持ちよく走れるペースで走ると決めていたので、時計をほとんど見ずに走る。お尻から股関節周りの筋肉で脚全体を動かし、地面を撫でるように着地し、上下動を抑える。それに集中していると、4km過ぎからペースが徐々に上がってきて、4:20/km前後で安定し始める。

今回はコナ出場権獲得も順位も目標ではなく、自分の最高のパフォーマンスを発揮する事が目標。とは言え、ラップペース以外に何か分かりやすい目標がないと、後半きつくなった所で踏ん張れないと考えて、まずは他の日本人選手を探す。前方に一人いたので、その方を目標にして走る。

7km過ぎから日差しがきつくなり、体温の上昇を感じ始める。エイドステーションでは歩かず、毎回氷と水、コーラを取る。氷は両手にいっぱい握り、走りながら口に一つづつ放り込む。これで体温上昇を抑えつつ、気分も少しは良くなるはずだ。1週目の終盤で前方の日本人選手をパス。足の運びに集中していたら、あっと言う間に2週目へ。

11kmくらいから13kmくらいまでは折り返し箇所が多くペースが4:40/kmまで落ちたが、後方の日本人選手複数名とすれ違い、追いつかれないようにと気合が入る。ペースをあげて4:30/km前後へ。それと同時に空腹を感じる。これはマズイ。バイク終盤で補給食を何度か飛ばしたので、エネルギー切れかもしれない。マグオンを4つ、トップスピードを2本しか持っていなかったが、後半の事は考えずに次々に摂取する。空腹は収まり、21kmまでは目標ペース4:37/kmに対して1km毎に数秒ずつアドバンテージを確保出来た。

脚の運びと着地に集中できた前半

21kmを過ぎてからは、32kmまでの11kmを目標ペースにしがみつくことだけを考えて走る。32kmまで行けば残りは10km。もし残りの10kmで5:00/kmまで落ちても目標ペースに対して130秒、2分程度のビハインドに収まる。21kmまでアドバンテージを確保できたので、この11kmを粘ることができれば、3時間14分の目標は達成できるはずだ。ランでは、区間を区切って分かりやすい目標を置き、その瞬間に集中する事が重要だ。

いつもなら21kmを過ぎると、膝上の筋肉や大腿四頭筋に、強い張りや痛みを感じ始めるが、今回はシューズが好影響しているのか脚に疲労を感じない。腹筋の辺りに少し痙攣を感じ始めたので、塩熱サプリを摂取したら痙攣は収まった。

25Kmを過ぎた辺りからペースが4:40/kmを下回り始める。体感で少しペースが遅いかなと思ったら、足が僅かに前で着地してピッチも下がっていた。それに気づいて、一時的に軌道修正してペースアップ。そして、ふと気づくとペースが下がり、着地が前に出てということの繰り返しが続く。

最後の1周に入る前に久保埜コーチとすれ違う。自分より5km以上も前を走っているが、3週目は今までよりも大幅に距離が縮まったようだ。トップ選手でもランの最後はキツイ。全員苦しんでいる今だから、ランが得意な自分は最後まで諦めずに踏みとどまらないといけない。そう自分に言い聞かせる。

4週目の終盤、36Km付近で竹谷選手とすれ違う。こちらも3週目までに比べると大幅に距離が縮まった。でも、自分のペースも4:50/km前後に下がっている。攻める気持ちを保つための何かが欲しい。その時、前方に、今回一緒に参加しているHさんを発見。ゴールまでに追いついて一言声を掛けることを目標に走る。少しず差を縮めながら、最後の1キロ付近で追い越す。後ろから大きな声で応援してくれる。その声を背中に受けて少しだけスピードが上がった。

長かったアイアンマンもようやく終わりに近づいた。苦しみから開放される安堵感と、レースが終わってしまう寂しさを感じながら、レッドカーペットへ。両側に並んだ観客にタッチして、全身で喜びを爆発させながら、最後はジャンプして手を突き上げてゴール。現地の学校に通っていると思われる日本人の子供が、タオルを渡しながら「凄いですね!」を声をかけてくれる。周りのボランティアの子供達も、私のゴールのパフォーマンスを気に入ってくれたのか、笑いながら拍手を送ってくれる。自分以外の誰かを喜ばせることができて、完走の喜びがさらに高まった。

苦行から解放される喜びを爆発させている様子

ゴール後

ゴール裏のテントでは、先にゴールした久保埜コーチが迎えてくれる。久保埜コーチはM25-29カテゴリーで優勝とのこと。素晴らしい。そのような方に、6ヶ月間、コーチとして支えてもらったことを心からありがたく思った。

すばやく着替えて、塩味のきいたポテトスープとパスタ、山盛りフルーツにアイスクリームを2つ食べてからマッサージテントへ。笑顔の素敵な若い女性が迎えてくれる。脚からお尻にかけて念入りによろしくと伝えたものの、ベッドにうつ伏せになった後に、今日は着替えの下着を忘れてノーパン、かつ、ゆるい短パン一丁だったことに気づく。ポロリの可能性が大きいが、今更焦ってもしょうがないので、まな板の上の鯉となってマッサージを受ける。

マッサージを終えると、朝のシャトルバスで会話した同じエイジに見えない同じエイジの選手が後ろで順番を待っていた。初めてのアイアンマンを完走し、全ての緊張が解けたような笑顔だ。しっかり握手して互いの健闘を称えあう。またどこかのレースで会おう。

その後は、同じ宿の選手を待ちながら、レース結果を確認したり、後日振り返り用に簡単なメモを記録する。私の記録は9時間39分、年代別5位。同じ年代カテゴリー1位の選手は8時間53分という圧倒的な記録で、エイジグループ全体でも断トツのトップだ。今後、世界トップレベルにどう近づくか。10月のマレーシアまでに何をするか。来年もケアンズに出るとしたら、何を目標にすべきか。そんなことを考えながら、レースの夜が終わった。

フィニッシュゲートの裏から
ゴール裏のリカバリーエリア

レース翌日

レース翌日の朝は気持ちの良い快晴。ゆっくり片付けをしながら朝からビールを飲む。片付けの目処がついたら、あとは何も気にせず、ただ飲んで食べるのみ。10月の世界選手権は前回の振り返りの通り、当面出場しないのでロールダウンセレモニーにも行かず、みんなでガレージに集まりピザとビールを満喫。人生における最高の時間のひとつだ。

レース翌日は朝から快晴

久保埜コーチの表彰を見に行くために、アワードパーティ会場へ。表彰台の上でチャンピオンジャージを着たコーチの笑顔が最高だ。いつかは自分も着てみたいと思ったら、直ぐにそれが叶った。同エイジカテゴリー1位のBoyle選手に話しかけたら、最後に写真を撮るときに頼んでないのに着せてくれた。なんて良い人なんだ。彼は北海道ニセコにも家があり、日本も大好きとのこと。奥様も一緒だったので話を短く切り上げたが、将来、世界トップ選手と練習したり、レースで上位争いが出来るように頑張ろうと思った。

チャンピオンジャージに袖を通す

ちなみに、トッププロのLuke Mackenzie選手がBoyle選手のゴールをinstagramに投稿していた。90年代前半に一緒にトライアスロンを始めたとある。そりゃあ、速いはずだ。調べてみると、私も参加した2年前のレースでM35-39のエイジ優勝をしていた。と言うことは、年齢は私とほぼ同じ。またも欧米人と自分の見た目年齢の違いを感じながら、2019年のアイアンマン・ケアンズが終わった。また来年も参加しよう。

ケアンズの夕陽

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