書籍:『北極男』荻田泰永著

冒険家の角幡唯介さんの本をエッセイに至るまで全て読んでしまったので、角幡さんと一緒に北極圏を旅した荻田泰永さんの本を読みました。

トライアスロンをはじめ、ルールによってリスクをコントロールされたスポーツは彼らの冒険とは対極にあると思いますが、それでも学びは大きかったです。いくつか紹介します。

北極を冒険するための適正

以下の箇所はレースで結果を出せる人間の適正とも読み替えられそうです。特に苦しい時の自分の制御は、レベル感は全く違いますが、自分もそうありたいと思いました。

北極を冒険するための適性を挙げるとすれば「我慢強いこと」「苦しい時に自分を制御できる精神力」「ミスをしない細やかさ」といったところかもしれない。

手段と目的

私にとって、トライアスロンは手段であって目的ではない。では、目的は何なのか。手段であるトライアスロンをどう活かすのか。改めてその事を考えさせてくれる文章でした。

北極を冒険することは、僕にとってはあくまで手段であって、目的ではない。冒険中は命がけの場面も多々あるのは確かだが、僕はスリルを味わうために冒険しているわけではない。北極点まで誰の力も借りずに、一人で歩き切るという目標をどう達成するか。そのために必要なスキルを身に付け、試行錯誤を繰り返し、万全の準備をして、実行する。その過程にこそ意味があるのであって、北極点の上に立つことや、ひたすら過酷さを求めて冒険を行うということは、僕が生きているという実感を得るためには必要なことではあるが、生きる目的そのものではない。それら一連の過程すべてが僕にとっての冒険であり、北極を歩くこともその一部に過ぎない。僕にとっては、主体性をもって能動的に生きること、それこそが「生きる目的」なのかもしれない。

普段、何気なく自分の周囲を通り過ぎていくごくありふれた出来事の中にも、じつは「知らない世界への入り口」が潜んでいる。そんなありふれた出来事を未知の世界への入り口に変えられるのは、自分自身だけだと思う。手を伸ばして、何かを摑もうとするなら、すでにその行為が「冒険」のはずだ。北極を歩くとか、ジャングルに分け入っていくのは、そのための手段に過ぎない。

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